寒さなどふっとぶほどの、スゲエ~車が店にやってきた。
1階マジョラムスイートのお客さんの車だが、
まさかこんなまじかでお目にかかれるとは・・・・・。
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レクサス LFA 世界限定500台。
トヨタがF1で培ったテクノロジーを惜しみなく注ぎ込んだスーパーカーだ。

子供時代のスーパーカーブームを思い出す。
学校では休み時間になるとスーパーカー消しゴム(通称:カー消し)でレースやらなんやらやり、
家ではミニカー片手にいろんな空想に浸ったものだ。
そして忘れもしない、いろんな場所で開催されていた”スーパーカーショウ”
ランボルギーニ、ポルシェ、フェラーリ、そこに居る誰もが大人も子供も同じ
キラキラした瞳で見入っていた。
そんなキラ星のごとき外車勢に対抗?して当時唯一の和製スーパーカー
”童夢 零”なんて車もあったなぁ。あれ以来じゃないだろうか、
純日本製のスーパーカーなんて。

見て、このリアビュー。そしてホイールの奥からさりげなく見える赤いキャリパー

この独創的なエキゾースト。
ヤマハと共同開発された4.8リッターV型10気筒エンジンは嫌みのない乾いた良い音してました。
ちなみに、この車300キロ以上でます。
本日最後のマザのお客さんも喜んでました。
「先週、モーターショウで見た車にこんなとこで会えるとは!」って。
仕事中だったため、オーナー様にちゃんと挨拶できなかったのが悔やまれます。
いいもの見せて頂きました。
ひさしぶりに心が躍りました。ありがとうございます。
- ゆうさん
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今更ながらに人に何かを伝えるというのは難しいです。
伝えたいという気持ちが大きければ大きいほど感情的に、くどくど語ってしまう。
楽しく解りやすく伝えてあげたいと思ってみたり、大事なことだからと厳しく言ってみたり
しかしいつもその時の”ありのままの気持ちを素直に表現してしまう”これは一見綺麗な
フレーズだが大きな間違いなのだ。たとえ上司と部下、先輩と後輩でもだ。
今日、スタッフの練習を見ていて感情的になってしまった。
一般に一生懸命になると人は感情的になってしまう。しかしそれは本来いけない事なのだ。
良くも悪くも感情をむき出しにしてしまっては一極化してしまう。
一方向からの情報の垂れ流しでは”伝える”ということにはならない。
双方向の言葉のやりとりがあってこそ本当に通じ合えるというものだ。
剥きだされた感情は相手を委縮させるか怒りを煽ってしまう。
ならば無感情に徹するべきかといえばそんなわけない。
お互い慈しみを持って接していかなければ気持ちは伝わらない。解ってるつもり
でいるがやっぱり感情が先走りしてしまって、うまく伝えてあげられない。
みなさん、許して頂きたい。こんなダメダメな僕を。
それでもやはり人と接する時、僕は、ただただ一生懸命です。
一度に沢山の人と接するのは苦手です。
伝えたい事があるとき僕はいつも一対一でないといやです。
この仕事はお客さんと一対一なのが好きです。
練習を見る時、一対一で見るほうが少しはましに伝えられると思うのは僕だけだろうか。
伝えたい事がある時、僕の頭の中はメビウスリングの裏側で表側を歩く人に必死で追いつこうと
している自分を想像してしまいます。
- ゆうさん
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芸術に触れるにはいい季節になってきた。
寝不足で充血した目をこすりながら空を仰ぎみると、この時期には珍しい
真夏のそれと見まがうほどの刺すような日差しだった。
今日は”華道 彩生会 いけばな展”に御呼ばれしている。お客さんが家元をされているのだ。
僕は花に精通している訳ではないが、若先生とカットの間、いろいろな話を伺って興味が
湧いてきた。
彩生会の真髄は
”一輪を生かし” ”身近な草木で” ”活ける”という、僕が持つ生け花の
イメージと少し違う感じがし、緊張しつつも”おじゃまします”となったしだいだ。
僕が持つ華道のイメージは”固く制止した物体”というもので、最近ではテレビなどで
見かける”カリ〇ザキ氏”のやたらと色取り取りの、ド派手な作品を思い浮かべる。
しかし今日目にしたそれは、全く逆なるものだった。
どの作品も控えめな色使いでシンプル、やわらかな動きを見せる木が添えられている
と思いきや、ダイナミックに拡がる葉の動的なこと。ある角度では”動”をまた
ある角度では”静”を、一見モノクロームの表情から実に鮮やかな色彩が顔を
覗かせたりもする。 ブログ写真には割愛させて頂いたが
身近な木々や野菜なんかもある。割れた花器の大地に自然のありのまま姿が
そこにあったり、虫に食べられた葉の美しい幾何学模様に”はた”と気付かされる。
自分がいかに、自然とかけ離れた生活に目を落としているのかを。



ちょいと熱く語ってしまいましたが、すみません、お酒が入って少し饒舌になってます。
今回は待ち人ありきにて、あまりゆっくり見ていられなかったのですが、次回は僕なりに
もっと深く世界観を掘り下げていきたいと思います。
家元様、若先生、本日はとても勉強になりました。ありがとうございました。
- ゆうさん
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お客さんと仕事の話をすると、大抵行き着く所は人間関係が大変という。
接客業でそんなこと言ってちゃいけないが、僕もそう思う。しかし気分を
悪くさせられるのも人間だが、良くしてくれるのも人間だ。
テレビドラマの登場人物のように、とても解り易い人ならいいのだが、現実、
人はそんなに単純じゃない。こちらもこちらで諦めないで解り合う努力をすれば
必ず光明は差す。と解っていても、いつもその気力が充実しているとは限らない。
そんな掴みようのない人同士が今日も笑えぬドラマを繰り広げる。
久しぶりに嫁さんとやり合ってしまいました。
最近、お互い穏やかに過ごしていたように思うのだが、水面下では煮えたぎる
負の感情が、かなり蓄積されていたらしい。まぁ、ここいらで毒抜きしておくのも
体によろしいんじゃないですかな、と言うことで。
ため息一つ、一人呆けていると、救いの天使が舞い降りた。
お客さん兼友人のM君、オランダ土産を持って颯爽と登場。
落ち込んだ気分も一気に盛り返し、早速ブログと相成りました。
まさに、”すてる神ありゃ拾う神あり”M君、ありがとう。
ついでと言っては差し支えがありますが、つい最近もおいしいお酒やマコモタケなる
珍菜やら、たくさんのおいしいものを頂きました。本当にありがとうございます。
こうやって誰かに心を救われた時いつも思うんです。
人の”縁”について。そしてこの”えにし”という言葉がとても好きです。
人の縁というのは本当に不思議なものです。縁というのは好きとか嫌いなどの
表面的な理屈じゃなく、もっと根源的なもの、本能とかDNAの記憶みたいな
もの、犬的にいうと”匂い”のようなものと僕なりに認識しています。
僕と縁のある方、お客さん、スタッフ、
友達、家族、この人達が寄せてくれた気持ちを、僕からもお返しできるよう
気力を充実させて、努力していきたいと思います。
嫁さんとM君のおかげで、最後はステキな文章が書けました。
- ゆうさん
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自分はとても貧乏性だ。中学生の頃からバイトをして、高校の3年間も
バイトに明け暮れた。それは年相応のモノを欲しがらない僕の趣味性の問題だ。
いつも欲しいものがあり、飢えていたからお金を稼いでないと落ち着かないのだ。
小学校4年生の時、初めて自分の部屋をもてた。4畳半の部屋にタンスが2畳ぶん
とっていたので2畳半のスペースに学習机だけの部屋。1年後に本棚を買って貰った。
そのまた1年後にクーラーを買って貰った。今でも母はよく言う『あんたが子供時分
どうしても欲しいとせがんだのはクーラーぐらいやね』と。
最初に貧乏性と言ったが、ただ貧乏だったのだ。
そして今、自分の店がある。さすがに物欲は落ち着いて貧乏じゃないが
相変わらず貧乏性だ。
いろいろな考え方があると思うが、僕は仕事をしてお金を稼いでいたい。それは
多い少ないの問題じゃない。やるかやらぬかの問題で、自分が自分に納得できるかだ。
そして稼げない時は、ひたすら勉強する。稼げる明日の為に。
僕たちの仕事はお客さん一人一人から直接お代を頂戴する。しかもモノを売ってるんじゃない。
直接、人同士が触れ合う中で技術だけとかモノだけの関係なんて長続きしない。
複雑な、人と人との関係を結びつけていけるもの、それは愛情だ、人情だ。
情の心を表にだせないなら、相手になにかを期待してはいけないと思う。
貧乏性=愛情過多であり、愛情の渇望なのだ。
そして僕の中で自分に誇らしく(後ろめたくなく)お金を稼ぐ事は
愛情や人情の心を育むことなのだ。
- ゆうさん
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